十薬どくだみの濃きは世間の濃きに似て

子供の頃に済んでいた田舎の家は便所が一番北側にあって、その裏の庭は湿って澱んで薄暗くて、十薬が密生していた記憶がある。父親から庭の雑草取りをやらされるのは、辛い仕事だった。コウブシは細い根を掘って抜くという面倒な作業を強いられる。ドクダミは軍手をしていてもいやな臭いが付いてしまい一日くらいでは取れない。とりわけドクダミは視覚的にも異常な、他に見たことの無い、この世のものとは思えない色をしていて、めったに行かない裏庭の薄暗い場所に密生していることもあって、子供ごころには奇妙な恐怖心を抱かせた。この植物が、大きな効果を発揮する漢方薬になるという事実は、ずっと後になって知ることとなる。梅雨時になると想い出す雑草である。十薬(6/11)

色物の白き靴下花辣韮

1970年代に頭脳明晰な噺家が幾人か現れて、それ以来、落語はただの笑ってストレス解消する芸能ではなくなった。「おいおい、落語を聞いてて笑ってちゃいけないよ」と諭されるというお笑い種が、現実のものとなったのである。座布の上に座って「ちょっと芸の価値が違うんでやんすよ」という立ち位置を取る連中に比べると、色物師には「こんな私ですが、信じるしかない」という、諦念のようなものが見えていっそ清々しい。
芸風によって「間」も千差万別で面白いことこのうえない。志ん生や伊東四朗を引き合いに出すのは可哀相にしても、違いを見ているだけでも充分に楽しめる。辣韮(5/25)

立ち位置を定めて凛々し夏相撲

とにかく初日から荒れた。六大関がすべて勝ち、その余波なのか絶対横綱に土が付いた。中日あたりからは場所の主役が目まぐるしく変わる。面白いといえば面白い。ハラハラするといえばハラハラする。頼もしいといえば頼もしい。不甲斐ないといえば不甲斐ない。一日一日でこんなに見通しが変化するものなのか。碁と将棋、柔道と相撲といえば、喩えとして相応しいかどうか分からないけれど、盤面が、土俵が、狭い分だけ一手・一番の持つ意味が重たい。結果について思うこと、言いたいことは色々あるが、兎に角、楽しませて頂いたことは確かである。いやあ、それにしても魂鎮め、この横綱の土俵入りはゾクゾクするほど素晴らしい。夏相撲(5/21)