この歌の背中を清らに星奔る

たしか六本木の「ホワイト」というお店だったと記憶している。たまたま桑名正博さんと一緒になり、酩酊ゆえの失礼ではあるが本人の前で「月のあかり」を歌ってしまった。まったくのヘタッピーなのに、不愉快な様子も見せず「味があるじゃないですか」と、そつなく収めてくださった。栄誉ある一夜だったと、今でも鮮明な記憶となっている。現在、氏は病床にあって死と闘っている。「ガンバレ、ガンバレ、桑名さん」と遠くの空から祈るしかない。氏の脳裡には、静かに強く「月のあかり」が流れているのではないかと想像している。(7/25)

君の取る距離も心地良し若き夏

一緒に居る時に実際に取る距離というは、微妙に、正確に、心を抱えている距離感を現している。必要以上に近かったり、不自然に遠かったりすると、相手の気持ちをあれこれ忖度して、不安になったり、不快になったりするのが常である。ところがどうしたことか、こちらが取って欲しい距離感とピッタリ一致することがあるのだ。決して男女の恋愛に限ったことではない。この、距離感覚がピッタリ一致する快感というのは、むしろそれ以外の時に姿を見せるようで、この関係は上手く行くこと間違いなしである。(7/15)若夏

噴水の先端歓喜の痙攣す

NHKの俳句講座を観ていたら海外詠では名高い物理学者の有馬朗人氏が、「外国で句材に困ったら、噴水を詠みなさい」とアドバイスしていた。そりゃあそうだ、公園に行けば何処にでもあるものね。そして、あのくらいの規模が噴水に似つかわしい気がする。仕掛け花火のように規模が大きくなって、観賞用になってしまっては、情緒をくすぐってくれる事はなくなる。風の方向によっては飛沫が身体に少しかかる、というくらいが噴水への愛着が沸き、琴線をふるわせてくれるというものである。天気はやっぱり晴れがいい。わざと飛沫のかかりそうな場所で回転移動してみたりする。だって、濡れてもすぐに乾きそうなんだもの。天気はやっぱり、「晴れ」がいい。(7/9)