春颯憤怒何故やら無彩色

米国には格付け会社というのがあって、他国の貨幣価値や企業の業績傾向などを評価してくれるらしい。他人の懐具合をあれこれ詮索するのは、かつてこの国では恥づべきことであった。よけいなお世話であるはずが、昨今は他人のいらぬ詮索に一喜一憂しているようで、国会では「そういうことに疎い」と答弁した首相に「鈍感だ」と怒ってみせた議員があった。商人になりさがったり、経済でしか物が見られなくなった輩には「疎い」という語を使ったことの真意は、遂に理解できないだろう。鹿児島と宮崎の県境では、再び大きな噴煙が上がった。自然がとか、地球がとか、神様がとかは言わないが、いろいろ憤懣やるかたない状況が生じているのだ。(1/29)

冬林檎寄物陳思の歯に沁みて

この国では、だんだんと苦味や酸味が嫌われてるようになって、夏蜜柑や冬林檎の人気が凋落しているらしい。思うにそれは味覚の問題だけではなく、思考や行動の傾向にも現れているようだ。この国の短詩型文学には、万葉の昔から正述心緒と寄物陳思のふたつの傾向があって、前者は自分の思いの表出にこだわる短歌型、後者は物をして語らせる俳句型。他者の理解を得られなくても、我が道を信じて歩くという孤高が疎ましく思え、手っ取り早く糊口を凌ぐことが好まれることと、苦味・酸味が疎まれることとは、決して無縁ではないだろう。辛い味のお店が矢鱈と評判になるのは、我慢できない世代が深層心理で免罪符を求めているからだ、なんてね。(1/27)

団塊の歌とどろけよ六花

4月には青山曼荼羅でライヴを開催する予定。採り上げるアルバムは「されどわれらが日々」、テーマは「団塊世代の応援歌」である。作曲と編曲をしてくださったクニ河内さんは十勝在住。雪降り積む帯広の自宅スタジオで収録した日々が懐かしい。帯広といえば六花亭で、その六花亭が運営するのが中札内美術村である。何度訪れても、その度に感動する。点在する美術館も素晴らしいが、散策そのものが楽しいのである。ここではいろんなものが良く響くだろうなあ、と実感する。勿論、歌声も。人影の少ないのをよいことに、大声を出してみたくなるのは、団塊生まれの僕だけではないだろう。(1/21)