下り来て春の渋谷の暗渠かな

東京には「谷」の字を持つ住所がいくつもある。四谷、千駄ヶ谷、碑文谷、入谷、下谷、そして今や若者の街となった渋谷など。当然、その名は地形に由来するのであろう。アイヌの言葉で「ヤ」は、低く湿った土地という意味だと聞いた記憶もある。中沢新一氏の名著「アースダイバー」によると、江戸・東京と呼ばれる、現在では一見平坦に感じられる一帯は、縄文時代には夥しい数の水脈に浸食された凹凸の激しい丘陵地帯だったらしい。そうだ、だからこそ東京に坂道が多いのも道理である。そして、坂道を下り切った場所には、古代の名残である川が流れているはずである。そのほとんどは、今や暗渠となってしまった。狂おしいほどの馬鹿げた喧噪に沸き返る、その足下には暗く濁った静脈のように、古代から続く水脈が流れていると想像すると、足下から身体へと青い冷気が沁み入って来るようである.(2/28)

懐かしき二八の春よいぬふぐり

卒業した高校は旧制中学だったので、校歌には漢語が多く含まれていた。入学してすぐの一学期の中間試験で、古語の問題に校歌から出題させるのは恒例で、学生の誰もが知っていた。「玲瓏」、「揺籃」、「翺翔」、「奇霊」、何でもござれで試験に臨んだ。おっ、出た。「二八の春とはどんな意味か答えよ」。「青春」と答えた。ところが〇ではなく△で答案は返されてきた。満点正解は「十六才」であると注解が付いていた。いやいや、その「十六才」が、意訳・飛躍して「青春」という世代全体を象徴しているのだと譲る気はなかったが、出題者が尊敬する文芸部顧問の瓜生先生だったので、ここはぐっと堪えて涙を呑んだ。
日本語には、「三々五々」、「四六時中」、「十中八九」、「七転八倒」など、数字を上手に使った熟語がたくさんある。そんなことを真剣に考えて時代が懐かしい。と思っていたら、近頃はそんな日々であるような気もして、気の持ちようが暖かくなってきた。いぬふぐり(2/24)

田螺鳴く言葉は所詮妙薬で

某氏の言う「最大の抵抗は沈黙である」。至言である。しかしながら「沈黙は金ですよ」と諭してあげた時点で、沈黙を破っている訳であり、同じ穴の狢であったり、天に唾するであったり、お説教好きには「とかくに人の世は住みにくい」のである。けれどこの齢になると、それは承知のうえで言っておかねばならない事もあろうというものだ。震災以降に生まれた、似たり寄ったりの『頑張れ日本(書くのも嫌だけれど)歌』が多過ぎる。NHKカルチャーラジオ「詩を読んで生きる」(この12回シリーズは、珠玉の言葉に満ちている。)で詩人の小池昌代さんが代弁してくれている。「そもそもテーマがあらかじめたてられていると、言葉というものは、その要請の力によって、常套的に並び始める」。戒めねば、ご同輩。田螺鳴く(2/17)