どんな世も空気の美味い新学期

大人用の自転車に両手を離して乗れるようになったのは小学四年生の春だった。「どこまで遊びに行ってもいいけど、往還を越えちゃあいかんよ」と言われていた。その往還も、まだ舗装されてはおらず、時折とてつもなく大きなトラックが粉塵を巻き上げて走り抜けるだけで、交通量とてほとんど無かったように記憶している。その往還の下り坂を、両の手を思いっきり広げて、目一杯のスピードで、一気に下り降りるのは、なんとも爽快であった。変な言い方だが、「うん、これで俺も兄貴分になった」といった気分であった。その往還を30分ほど歩いて、右へ折れる。貴船神社のある細く険しい小峠へと分け入り、また30分ほでかけて登り下りすると、やっと目的の小学校が見えてくる。長い道のりだから、鬼ごっこばかりしながら通学していた。時代が変わっても、新学期は何もかもを新しくしてくれる。新学期(3/23)

春分の斧が地球を真二つ

「斧」という言葉が好きである。父親、男らしさ、逞しさ、胸板、筋骨、挑戦、孤高などといったイメージの具象として深層心理に焼き付けられているらしい。子供の頃、五右衛門風呂の水汲みと湯沸かしは、夕方の欠かせない仕事であった。葡萄と桃の果樹園を経営していた我が家では、風呂焚き燃料の中心は、葡萄と桃の薪である。細くてクネクネ曲がった枝は扱いにくく、鋸や鎌を使ってちまちまと切るのが常で、大木に斧を振り降すような胸のすく仕事ではなかった。だからだろうか、斧のイメージは描けるのに、それを振り下ろす人物が誰であるかは遂に像を結ぶことがない。春分の日、太陽は真東から昇り、真西へと沈む。振り下ろされる斧がその様に動くとすれば、斧を振り下ろすその人物(もののけ?)は、西に向かって眼を見開いていることになろう。西行とはどの様な人物でったのか。毎日コツコツと竈に小枝をくべてきた者には、測りかねる存在であるが。春分(3/20)

キュビズムの千年の墓海霞む

どうしてもピカソという人物が好きになれない。そのひたすらぶりも、その奔放ぶりも、称賛するなら「生命そのものを生きた人」といったところだろうか。視点を変えると、どうもキュビズムが生命体として出現してしまったように思える。銃弾に倒れようとする市民を前にして、助けようとするより先にフィルムに収めようとするカメラマンが理解できないように、戦争の悲惨さに触発された憤怒の思いが、戦場に向かうのでなく、キャンバスに向かわせるという精神構造が理解できない。「今、成すべき事」の向かう矛先が違うような気がするのである。この度の地震・津波・原発事故では、そんな行為を幾つも見せられた。当事者ではないのに、奇妙に興奮している人々の動きが増幅して、キュビズムで一杯という事態が起こってしまった。そう、海岸線に並んだ爆発後の青い箱の奇妙な姿も、人間の醜悪の見事な形象化のように感じられて慄然としてしまう。霞む(3/12)