故郷を短く説明せよと言われたら、高度経済成長を支えた炭鉱町ですと答えるしかない。気持ちにそぐわぬ表現である。様々に豊かな表情を持っているのだが、全国に通用する平均的な説明となると、そこに落ち着く。実感は無いが、たぶん繁栄を極めたのだろう。想い出してみると、運動会は町中、農業、炭鉱に分かれて、親から近隣までを巻き込んだ一大イベントとなっていた。お祭りにはテキ屋が溢れ、サーカスや見世物小屋も設置された。メンコ(パッチンと言った)、ビー玉、凧揚げ、何でもギャンブルだった。お小遣いは10円が相場。紙芝居屋さんが来ると、それを握り締めて飛んで行った。
でも、もう一度想い出してみると、皆が貧しかった。寒くなると、皹(あかぎれ)ができるのは当たり前だし、学生服の袖は水洟でテカテカだったし、薄っぺらな古着を重ねて着膨れしていた。そのままの精神年齢で、50年が過ぎてしまった。着膨れ(1/16)
皹て着膨れしまま歩み来て
肩が言うほらこれが木枯だったよね
例年とは違って、辰年の初詣はやや遅く5日。初出社に合わせて、青山の熊野神社へ参拝した。前に並んだ若者達が、まるで練習でもするかのように、二拝二拍手一拝を不器用にこなしていた。いいもんだ。見ているうちに気持ちが暖かくなってくる。熊野神社と呼ばれる神社様は全国に3000を超えるらしい。青山の熊野神社は、実にこじんまりしていて淑気に満ちている。(挿絵は西新宿に住む友人から頂いた初詣写真をもとに描いたものだから、十二社の熊野神社だろう。かなり立派そうである。)しばらく自宅に籠もったままだったので、久々に外の空気に触れる朝でもあった。玄関を出ると、いきなりの寒さに身震いがする。冬の空気とは、こんなに冷たかったのか。自分にばかりかかずり合っているうちに、自然のなんたるかを忘れていたみたい。木枯(1/10)
天晴れな二人のままに蒲団打つ
気持ち良く晴れた新年だもの、歩こう歩こう。で、散歩と相成った。二日はする事も待つ事もほとんど無いので、少し遠くまで出向いてみようということになった。路上観察、鵜の目鷹の目でキョロキョロの鈍足歩行。注連飾りをしている家は、かなり見掛ける。が、日の丸の旗を垂らしている家は、めっきり少なくなっている。むしろ、門松を飾った立派な家の方が多いくらいだ。日の丸を見つけると「どんな人が住んでいるのかしら」と、愚妻など訝しがるくらいである。南側のベランダに蒲団を干している家など見つけると、気持ちがほころんで来る。「ああ、ここには古き良き日本が呼吸している」と懐かしい思いに和んでしまうのだ。家は古びた二階建てが良い。干してあるのは敷き込んだ煎餅蒲団が良い。蒲団を打っているのは団塊世代の叔母さんが良い。それを見上げているのは、火急に成すべき事も無くのんびり生きている団塊世代の叔父さんが良い。つまりは、僕である。蒲団(1/5)