寝正月無理を承知のアナキスト

「弱い人間は正しいという考え方が、私は嫌いだ」と断言したのは、倉橋由美子姉御女史。「できることならシステムは、作らない方が良い」と指摘したのは、養老孟司好々爺先生。「正義はおおむね嫉妬に根ざしている」と喝破したのは、山本夏彦編集兼発行人。
危ない橋を渡る寸前の発言である。なかなかこういう事が言えない世の中になった。
北朝鮮の人民がカメラの前で嗚咽する集団演技をしている姿と、日本の芸能人がカメラの前で異常に高いテンションをみせているのと、なんだか酷似していると感じている人も多いのではないだろうか。そういう事が言いにくい世の中だけどね。
バーの止まり木あたりでも、ちょっと本音を出そうものなら「あら、語るはねえ」と疎まれる世の中である。本心という奴が所在なげで、小さな身体にとどまったまま、行き場を失っているようである。寝正月(1/1)

稲積に漠の集まる少年期

毎日の暮らしの中で見慣れた風景だったのに、「へえ、そんな名前があったの」と、後で教えられる事も多い。稲刈りが済んで切り株が殺風景に並んだ田圃を「穭田」と言うのだと、つい最近知った。「ひつじだ」と読むことも。歳時記にもちゃんと記載されている。こんなに魅力的な名前があったなんて。
そして、子供の頃、学校帰りに焼き芋を買って駈け込んだ隠れ家を「とうしゃく」と呼んでいた。藁を太く丸い束に縛り上げて、それを積み重ねたもの。子供達は、その中をこっそり刳り抜いて、数人が入れるようにし、隠れ家として密かな王国を築いていたのである。「としゃく」と呼ぶ地方もあり、そちらの方が主流のようであるが、とにかく漢字でどう書くかは知らなかった。「なるほど、そう書くのか」と納得のいく漢字である。季語ではないが、初冬の風物詩であったことには間違いない。(12/29)

薄暮鐘小脇に挟む冬帽子

昨今、夕方の散歩には、手袋、マフラー、帽子が三種の神器となっている。壮健であった頃には思いもしなかったことだが、どれかを忘れて出掛けてしばらく経つと「しまった」とあたふたする。武器を持たず大敵に立ち向かう縄文人のように、脆弱な立場に居る自分を痛感するのである。例えば帽子なら帽子、それの無い部分が際立って弱々しく世界に晒されているように感じて、寒さの恐怖はまさにその部分から攻めてくるのである。けれど、三種の神器が万全であれば、暗くなり、冷え始めた池の畔にあっても余裕綽々。遠くに聞こえる鐘の音に、ふと手編みの毛糸の帽子を取って小脇に挟み、祈るような、感謝するような、敬虔な気持ちに至ることがあるのだ。この時の祈りは、いったい何に向かって捧げられているのであろうか。冬帽子(12/26)