それでなくても普段から弓のかたちに反っている日本列島の東側半分が海老反りの大痙攣を起こしてしまった。なんと言う大惨事。地球上のあらゆる大陸は、1年間に数ミリずつ移動していると言う。地学的真実だろう。その何十年分、あるいは何百年分が一度に押し寄せると、こんなにも残酷なことになってしまうのだ。数百人の行方が分からないとか、何百名の遺体が発見されたとか報道されても、釈然としないというか、心の中に納得のできる置き場所がない。なんという虚しさなのだろう。被害を受けた人々は、日本人は、そしてこの私は、美しいかったはずの自然を、もう一度愛せるようになるのだろか。 (3/22)
反り返る日本列島石鹸玉
欄干に聞く名も知らぬ囀よ
肝胆相照らした同窓会の翌朝、割烹旅館の欄干に寄り掛かって、彼等は「あっ、小綬鶏だ」、「あれは鶸だ」、「鷽もいるね」と、声を聞いて鳥の名を言う。鳥の種類や草花の名前に詳しい友人達が、羨ましいかぎりである。こっちはさっぱり分からないのだから。どうしたことか豊かな自然の中で育っていながら、学ばないで来たことが余りに多く、残念でならない。そして齢六十を越えてしまった。「ああ、あれはなんという名の鳥なのだろう」と耳をそばだてている自分が哀れでならない。ちなみに頬白の鳴き声は「源平つつじ白つつじ」あるいは「一筆啓上仕り候」と聞こえるそうである。そういう風に聞くというのも異能の人と言うべきでありましょう。(3/16)
太平洋春の砦を奪いけり
リアルタイムに遭遇した大惨事を詠むことなど俳句の役割ではない、という人もいるだろう。けれど、この驚きに叫び声を上げない訳にはいかない。直後にニュースで知った東北地方での惨劇は、痛ましいを遥かに通り越している。土曜日の朝現在、被害がどこまで拡大するのか、想像さえできない。僕が経験したのは、東京のオフィスビルでの揺れる恐怖だけだったが、地震そのものより、津波の方がより大きな被害をもたらすものらしい。家が流れてゆく。なんということだ。この時間は記憶しないわけにはいかない、平成平成二十三年三月十一日午後二時四十六分。(3/12)