春月の名も無き坂を歌に濡れ

東京は坂道の町であると言われる。ありとあらゆる坂に所縁ある名前がついている。なのに青山三丁目交差点から霞町(西麻布)へ向かうゆるやかな坂道には名前が無いらしい。その昔は坂になってはいなかったのかもしれない。東京には珍しい名無し坂である。その途中に位置する老舗のライヴハウスがあるで、週末の2日間ゴスペル・コンサートが開かれた。心情あふれるいいライヴだった。(プロデュースしたのは、かくいう私自身でありますが。)終わって外に出ると、小糠雨が降っていた。「春雨じゃ濡れて行こう」の心地良い心境であった。(4/21)

漂泊を酒の肴に花の下

種田山頭火、尾崎放哉、山崎方代といえば漂泊の生涯を代表する三人。けれど自分がこの齢になって思うのは、自ら選んだ漂泊は、決して不幸などではなく、いやむしろ幸福であったのではないかということ。漂泊も選べずに、兎小屋での日々を安穏と貪っていることの方が、自覚なき真実の不幸ではないだろうか。被虐的に過ぎるかな。西行の「ねがはくは花のしたにて春しなん」というあまりに有名な歌にも自己陶酔に似たものを感じてしまうのは私だけだろうか。市井の人として生きるというのも、なかなかに切歯扼腕である。(4/13)

躓いてくれる人待つ小石かも

「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」と記したのは詩人の尾形亀之助である。太宰治は「選ばれたる者の恍惚と不安」と書いた。世間への遠近法が違うと、表現もこんなに違ってしまうらしい。あらかじめ用意された富や名声が、等身大の自分を見えにくくするであろうことは、両方を持たぬ者にも想像はできる。どちらかというと虚無や諦観の漂う尾形の言い方に親近感を感じてしまうのを、辛気くさいと咎められるかもしれない。ある人によると、尾形は意志的に選らんだ「緩慢な死」によって餓死したらしい。転びたい人もいれば、転んでもらうことによって存在を証す小石もあろうというものである。無季(4/14)