背伸びして樹液を零す少年よ

地方の美術館に立ち寄った時、中学生の集団と鉢合わせになった。絵画をゆっくり観るどころではない。走り回る男の子たちは、甲高いボーイソプラノで囀っている。その中に一人だけ、喉にひっかかるようなダミ声を出す子がいた。可哀想なようでもあり、一歩抜きん出ているようでもあり。話かけるなら彼かな、と思った。第二次成長期、反抗期反抗期、変声期、そんなことを言われた年代が自分にもあった。遠い記憶ではあるが、「死」について真剣に考えている頃でもあった。必然的に死は近づいているのに、反比例して死について(怖れることはあっても)考えることはほとんどない。この体内を満たしている比重の薄い液体は何なのだろう。(3/8)

真っ白な皿を割って三月へ出る

先週の末には春一番が吹いた。夕方からは北風に戻って冷えもぶり返したが、南の風を感じたことで、身体におおいなるたおやかさが膨らんできた。もう新しいことは起こらないのではないかと悲観的になっていた気持ちに、「起こしてやろうじゃないか」とでもいった時限爆弾にも似た意欲が漲り始めている。まず、清潔に洗われて新鮮なサラダを待ついつもどおりの食卓を排斥しなければなるまい。先達が言った「書を捨てよ、街へ出よう」のアジテーションに、この年齢になって乗っかりそうなのである。さて、その三月はどんな顔をして待っていてくれるのだろう。見捨てられるのも、また良しである.(3/1)

歓喜して広原の火の速きこと

時事俳句というのは、なるべく作らないようにしている。それに、時間の流れとともに経年劣化したり内実不明になったりすろことも多いだろう。けれど、現在アフリカで起きている(らしい)出来事は、歴史のターニング・ポイントを思わせて、無視することができない。飛躍して言うなら、生産をして対価を得る時代から、架空物の投資(貨幣)によって利益を上げる時代が到来したように、ネット上での情報流通(ましてやハッカーの攻撃)によって、民衆が動き体制が揺らぐという現象は、
恐るべき世界が現出しかかっていることを予感させる。単に「民主化」などと浮かれてはいられないような。((2/25)