一生を捧げて自販機に笑われて

ひとつのことに人生の全てを捧げるなんていうことは、寓話の中にはあるかもしれないけれど、現実にはほとんど希だと思っている人が多いことだろう。ところがどっこい、これでなかなかそういう生き方がいらっしゃるのである。人間捨てたものではない、と言いたいのではなく、人間そういうものであると言いたいのである。足跡というのは、作っていくものではなく、時を経て振り返って初めて気付くものであるようにである。人間は美しい徳分を持って生まれてくるのだ。小賢しい小理屈屋が笑わば笑えである。それにしても、つい先日、建物という建物にビッシリと自動販売機が並んでいて、入口が見つからなかった時には慌てたし、後で思い返して仰天もした。笑わば笑えと、笑ってばかりはいられない時節の曲がり角に立たされているようである。無季(11/24)

通草篭母の戻らぬ台所に

我家は葡萄と桃の果樹園経営を賄いとしていた。といっても、祖父が中心に座っており、祖母は高血圧でほぼ寝たきり。父は養子であることに拗ね、早くから家業の相続を捨て、教員になっていた。その憤懣の矛先として、祖父は母に辛くあたった。耐えられなくなると、母は私を連れ出して石原裕次郎の映画を観に行ったものである。一つ屋根の下が一筋縄ではいかないというのは、いつの世にもある常であろう。麻雀や宴会などで父が遅くなると分かっている夜は、母の帰りも遅くなることが多々あったように思われる。お子様ランチの頭に、その意味はあまり良く理解されてはいなかったが、異様な不協和音が低く流れていることには気付かされていた。アケビは、通草、木通、山女、蓪とも書く.(11/18)

空洞を焦がれて埋めて唐辛子

かの華麗なるギャッツビー氏の宣わく「僕はなんて不幸なんだろう。だって、これ以上幸福になりようがないんだもの」。凡百には言えない名台詞だよね。四国の大会社の三代目御曹司が100億円以上も使い込みをしたらしい。ほとんどをギャンブルにつぎ込んだという。かつて、福沢諭吉の曾孫の福沢サチオは、プロレーサーとなり、若くしてサーキットに散った。あまりに恵まれた環境にあると、シビレルようなプレッシャーや生命を賭けた緊張感の下でないと、生きているという実感を味わえないのかもしれない。既得権だけは、決して満ち足りた心を持ち得ないということだろう。翻って言えば、自分の立場がもたらした偏狭な価値観で他人を測っているようでは、本質へは至らない。詮無いことである。唐辛子(11/7)