一生を捧げて自販機に笑われて

ひとつのことに人生の全てを捧げるなんていうことは、寓話の中にはあるかもしれないけれど、現実にはほとんど希だと思っている人が多いことだろう。ところがどっこい、これでなかなかそういう生き方がいらっしゃるのである。人間捨てたものではない、と言いたいのではなく、人間そういうものであると言いたいのである。足跡というのは、作っていくものではなく、時を経て振り返って初めて気付くものであるようにである。人間は美しい徳分を持って生まれてくるのだ。小賢しい小理屈屋が笑わば笑えである。それにしても、つい先日、建物という建物にビッシリと自動販売機が並んでいて、入口が見つからなかった時には慌てたし、後で思い返して仰天もした。笑わば笑えと、笑ってばかりはいられない時節の曲がり角に立たされているようである。無季(11/24)

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