通草篭母の戻らぬ台所に

我家は葡萄と桃の果樹園経営を賄いとしていた。といっても、祖父が中心に座っており、祖母は高血圧でほぼ寝たきり。父は養子であることに拗ね、早くから家業の相続を捨て、教員になっていた。その憤懣の矛先として、祖父は母に辛くあたった。耐えられなくなると、母は私を連れ出して石原裕次郎の映画を観に行ったものである。一つ屋根の下が一筋縄ではいかないというのは、いつの世にもある常であろう。麻雀や宴会などで父が遅くなると分かっている夜は、母の帰りも遅くなることが多々あったように思われる。お子様ランチの頭に、その意味はあまり良く理解されてはいなかったが、異様な不協和音が低く流れていることには気付かされていた。アケビは、通草、木通、山女、蓪とも書く.(11/18)

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