秋の句に忖度あれこれ歩き出す

古典の凄さは、付着物の総量の多さだと思っている。ひとつの作品に、後の人があれこれと新解釈&深批評を加えてくれる。それがどんどんと増えていって、古典としての価値の高さを不動のものにしていく。作品を超える事が出来るのは作品だけである。批評はあくまでも作品の従属物でしかないと思っている。過激を承知で言えば、誉めているもの以外はクレームでしかないと決めている。が、それはなかなか許してもらえない。とりわけこの国では批評の地位は高く、それが好きな人も多い。なんとはなしに呟いた一句に、当人は思いもしなかった感想・解釈・批判がかまびすしくなることがある。まあ、それも良しと笑ってばかりはいられなくなることもある。並の神経では、生きているうちに古典になんぞなれっこない。(10/31)

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