漂泊を酒の肴に花の下

種田山頭火、尾崎放哉、山崎方代といえば漂泊の生涯を代表する三人。けれど自分がこの齢になって思うのは、自ら選んだ漂泊は、決して不幸などではなく、いやむしろ幸福であったのではないかということ。漂泊も選べずに、兎小屋での日々を安穏と貪っていることの方が、自覚なき真実の不幸ではないだろうか。被虐的に過ぎるかな。西行の「ねがはくは花のしたにて春しなん」というあまりに有名な歌にも自己陶酔に似たものを感じてしまうのは私だけだろうか。市井の人として生きるというのも、なかなかに切歯扼腕である。(4/13)

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