滾りある恋猫のまま籠の中

いやいや、自分の境涯を語っている訳ではありません。まあ、おおかたの人(女性とは限りませんぞ)は、かくの如き熱い思いを秘めたままで、取り返しの付かぬ年齢へと至ってしまうのではないだろうかと忖度してみたに過ぎない。かと言えば、そうでもなくて。色、恋、愛などで逼迫した状況を抱えたことのない身にも、音楽のこと、文学のこと、絵画のこと、演劇のこと、映画のこと、思い返してみれば滾る思いを抱えていながら、噴出させるべき突破口を見つけられないまま、この年齢へと辿り着いてしまったような・・・悔恨にも似た(甘酸っぱいというのはイヤな言い方だ)快感がある。この程度の人生を引き受けて来たというのは評価に値する。表彰台には立てなかったけれど、自分を誉めてやりたいのである。そう、悔恨にも似た快感。語呂がいい。恋猫(2/9)

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