当初は「敗戦の」と詠んだものを「敗戦も」と助詞一語を変えた。「の」は、微細な解釈は読者に委ね、大きな世界観を表現できる。けれど、「の」には何でも代行できる便利さ、曖昧さもある。「も」は、作者の心理を投影して微妙なニュアンスを伝えることが出来る。けれど、解釈を狭く限定させてしまう欠点も生じる。病み上がりの身としては、敗北の中にも全力で戦った清々しさがることを、スポーツマンの潔さとしてストレートに表現したかったのだ。助詞のたった一語でありながら、作者と読者の関係を大きく左右する。だから、日本語は難しい。だから、日本語は面白い。
ところで、武蔵野在住ながら釜石シーウェイブスの後援会に入っている身としては、新日鉄時代も忘れ難い記憶があり、3月11日以降は市民とのより緊密な連帯感の強まっている姿を目にするにつけ、応援を続けたい気持ちが高まるばかり。このチームの存続こそが、日本社会の将来の「良き」在り方を示すことになると思う。ちなみに、掲載のイラストレーションは、横河武蔵野アトラスターズの練習グラウンドでスケッチしたものです。複雑だなあ。ラガー(1/23)