正午なり真っ白な夏を立ち尽くす

「頭の中で白い夏野となっている 高屋窓秋」。伝えようとするメッセージが見えてくる分けでもないし、具体的なイメージへと収斂してゆく分けでもないのに、(深い感動というのではなく)大いなる共感へと導いてくれる美しい一句である。「白い夏」とは如何なる夏か。考え尽くせぬ末に、はたと思い至ったのである。世間は義理で縛ってくる、巷間は些事で溢れている、社会は問題を投げ掛ける、真摯に対処しなければならない事象が多すぎる。と、脳は自己に回帰する。煎じ詰めたところ、どうやら頭の中は本質的にはカラッポのようである。カラッポこそが本質、それで良いような気がする。世の中にも、私自身にも、様々な出来事が降って来たが、カラッポでいることが一番「正鵠を射た」生き方のような気がしてきた昨今である。(8/17)

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