「斧」という言葉が好きである。父親、男らしさ、逞しさ、胸板、筋骨、挑戦、孤高などといったイメージの具象として深層心理に焼き付けられているらしい。子供の頃、五右衛門風呂の水汲みと湯沸かしは、夕方の欠かせない仕事であった。葡萄と桃の果樹園を経営していた我が家では、風呂焚き燃料の中心は、葡萄と桃の薪である。細くてクネクネ曲がった枝は扱いにくく、鋸や鎌を使ってちまちまと切るのが常で、大木に斧を振り降すような胸のすく仕事ではなかった。だからだろうか、斧のイメージは描けるのに、それを振り下ろす人物が誰であるかは遂に像を結ぶことがない。春分の日、太陽は真東から昇り、真西へと沈む。振り下ろされる斧がその様に動くとすれば、斧を振り下ろすその人物(もののけ?)は、西に向かって眼を見開いていることになろう。西行とはどの様な人物でったのか。毎日コツコツと竈に小枝をくべてきた者には、測りかねる存在であるが。春分(3/20)