薄暮鐘小脇に挟む冬帽子

昨今、夕方の散歩には、手袋、マフラー、帽子が三種の神器となっている。壮健であった頃には思いもしなかったことだが、どれかを忘れて出掛けてしばらく経つと「しまった」とあたふたする。武器を持たず大敵に立ち向かう縄文人のように、脆弱な立場に居る自分を痛感するのである。例えば帽子なら帽子、それの無い部分が際立って弱々しく世界に晒されているように感じて、寒さの恐怖はまさにその部分から攻めてくるのである。けれど、三種の神器が万全であれば、暗くなり、冷え始めた池の畔にあっても余裕綽々。遠くに聞こえる鐘の音に、ふと手編みの毛糸の帽子を取って小脇に挟み、祈るような、感謝するような、敬虔な気持ちに至ることがあるのだ。この時の祈りは、いったい何に向かって捧げられているのであろうか。冬帽子(12/26)

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