さもなくば星へと墜ちよ賢治の忌

なんとも過敏なまでに深淵へと誘惑する。すぐさますっかりと迷い込んでしまう。詩が凄まじいのはもちろんであるが、選ばれている単語のひとつひとつがイマジネーションを限りない彼方へと引率する。腐植の湿地、諂曲模様、正午の管楽、暗い足並、玉随の雲、魯木の群落、喪神の森、気圏の海。「春と修羅」ひとつを取っても枚挙にいとまが無い。宮沢賢治のせいで、僕の頭の中はビッグバン以降の宇宙そのままに拡大し続けるのだが、自身の密度は法則どおりにどんどん希薄になりつつあることを痛感している。この浮薄な物体「僕」というものを、どう処したらよいのであろうか。等身大?結構ではあるが、なんだか淋しくもある。9月21日は、賢治の命日である。(9/21)

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