実家の生業は果樹園であった。主に葡萄を栽培していた。市場に出せないレベルのものは、食べ放題であった。ベリーウェイやデラウェアからマスカットや巨峰へ、だんだんと高級な品種が求められるようになっていった。酢っぱい林檎が不人気になるように、種のある葡萄も市場で高値が付かなくなっていった。少年ながら、なんとなく理不尽なものを感じていたし、世間が妙な方向へ軋み始めているな、とも思っていた。今でも「種なし葡萄」には、人間の傲慢な未来の種が詰まっているように思うし、そんな奴からとんでもない仕打ちを受けると、怒るというより、自分が悲しくなってくるのである。葡萄園で育ったんだもの、葡萄そのものが憎かろうはずがない。葡萄(9/9)