しばらくはゴドーを待つか秋の入口

「待つ」とは、受動的な行為なのだろうか。この国には交感神経優位の人が多すぎるような気がする。積極的、前向き、努力家、頑張屋、などが歓迎され過ぎるのではないだろうか。とりわけ男性の場合、スーツを着てネクタイをすると突然、攻撃的にすらなってしまう。まるで甲冑を身に着けると戦争がしたくなる武士みたいだ。よろしくない傾向だと思う。翻って「待つ」である。受動的なように見えて、これは実に思慮を必要とする建設的な態度に他ならないのだ。もちろん、忍耐力・包容力・受容力・想像力なども必要とされる。副交感神経を活発化させることが求められる。他者との関係の中にあって、傷つけず、傷つけられず、本当の豊な実りを得るためには「待つ」という態度こそが大切ではないかと思う。「訪れる」ものこそ、待望されるのであるから.(8/23)

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