真っ白な皿を割って三月へ出る

先週の末には春一番が吹いた。夕方からは北風に戻って冷えもぶり返したが、南の風を感じたことで、身体におおいなるたおやかさが膨らんできた。もう新しいことは起こらないのではないかと悲観的になっていた気持ちに、「起こしてやろうじゃないか」とでもいった時限爆弾にも似た意欲が漲り始めている。まず、清潔に洗われて新鮮なサラダを待ついつもどおりの食卓を排斥しなければなるまい。先達が言った「書を捨てよ、街へ出よう」のアジテーションに、この年齢になって乗っかりそうなのである。さて、その三月はどんな顔をして待っていてくれるのだろう。見捨てられるのも、また良しである.(3/1)

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