鳩尾の奥に盛りの花の山

蕾の頃も良い、三分も五分も、満開も良い。けれど何と言っても、咲き潤んで悶えるような膨らみを帯び、枝に留まっていることにも耐えきれぬといった、はち切れんばかりの風情の桜が、飛び抜けて愛おしい。短い生命の喩えに使われる事の多い桜花であはあるが、蕾も、五分も、満開も、数日は楽しめるものである。しかし、この時だけはほんのわずかな、瞬間と言ってもよい程の短さ。春の風が走れば、待ちかねたように喜悦の声を放って、一気に舞い散るのである。我が身体の奥に胸骨に囲まれた静謐な空洞があって、そこには確かに幾多の桜木を咲き誇らせる里山がある。そして今年も、得も言われぬ瞬間を迎えようとしている。おお、夢と現のなんという美しい一体化であろう。(4/15)

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