春の闇降る旋律をポケットに

随分と若かった頃の話ではあるが、毎夜毎夜の飲み歩きに欠かさずボイスレコーダーを持って、いざ出陣と出掛けていた。何軒かはしごしてしこたま酔った末、呑み相手と別れて一人になった後のことである。家路に向かうタクシーの中で、あるいは満天の星の下を歩いている時に、突然、素晴らしいフレーズが、あるいは美しいメロディが、大脳という枯渇した平野を潤す慈雨のように降ってくるのであった。「おお、急げ、急げ!この言葉を記録しておけ、その旋律を採譜しておけ!」となるのである。そこでボイスレコーダーが大活躍。一冊の詩集へと、一枚のレコードへと結実・・・したことは無かった。が、自分に自惚れることが出来た時代があったのである。4/20

鳩尾の奥に盛りの花の山

蕾の頃も良い、三分も五分も、満開も良い。けれど何と言っても、咲き潤んで悶えるような膨らみを帯び、枝に留まっていることにも耐えきれぬといった、はち切れんばかりの風情の桜が、飛び抜けて愛おしい。短い生命の喩えに使われる事の多い桜花であはあるが、蕾も、五分も、満開も、数日は楽しめるものである。しかし、この時だけはほんのわずかな、瞬間と言ってもよい程の短さ。春の風が走れば、待ちかねたように喜悦の声を放って、一気に舞い散るのである。我が身体の奥に胸骨に囲まれた静謐な空洞があって、そこには確かに幾多の桜木を咲き誇らせる里山がある。そして今年も、得も言われぬ瞬間を迎えようとしている。おお、夢と現のなんという美しい一体化であろう。(4/15)

陽を浴びて色淡くする春帽子

もう5~6年も前になるだろうか。中南米への取材旅行を敢行した友人のカメラマン氏から土産でいただいたシルクハットの色が、たまらなく気に入っている。少し緑を帯びた青なのだが、それ以上の上手な喩えようがない。室内にあっては、黒を含んだ少し暗い色に感じるのだが、太陽の光の下に出ると一変、軽快だけれど軽薄ではない心に沁みる明るさ、切ないまでの深みを醸し出すのである。天然の素材から絞り出された色は、その土地でしか得られないもので、この国での自分の生活の周辺からは絶対に発見できない。遠い異国の歴史や文化・生活に思いを馳ながら、光も風も心地よい街へ出掛けるのは、春の醍醐味のひとつである。この帽子をかぶってね。春帽子(4/2)